知らない優しさ

日々のキヅキゴト

とてもプライベートな話で恐縮ですが・・・今朝、祖母が天国へと旅立ちました。

99歳の大往生。
老衰だったので、本当に命の灯が消えるように息を引き取ったようです。

半年ほど前までは意識が朦朧としながらも、緩やかなコミュニケーションは取れていて。
「危ういかな?」と思っても、図太く(本当に図太く)生き永らえて。
「このまま永遠に生き続けるのではなかろうか」というほどのしぶとさ(あえてこんな言葉をつかっています)という逞しさを見せつけられていましたが。
「100歳の壁は、やっぱり高い!」「100歳って、本当にすごいことなんだね」と、家族で改めて実感したところです。

祖母はずっと実の娘である母とともに暮らしていました(だから私も一人暮らしを始めるまで同居していました)。
口が悪くて、余計なことも言っちゃうし、家の内外問わずいろんなトラブルも巻き起こしていましたが(笑)、88歳までバリバリに田畑に立ち続け、それはそれは働き者でした。

やがてだんだんと体の自由が利かなくなり、でも母はなんとか農作業をしつつ、合間で祖母の面倒を見て。
とはいえ、なかなか両立も難しく、社会の価値観も変わったのを受け、数年前から「施設への入所」という選択肢を選びました。

長女が生まれた8年半前、祖母は会話は成り立つものの、私が「美穂」だということも「孫」だということも認識が既に曖昧で。だから我が長女のことは「曾孫」だなんて全く分かっておらず。
さらに6年前に生まれた次女に至っては、生まれた直後に抱っこしてもらったものの、手の中にあるのが赤ん坊だということもわかっていたのか、いないのか。
そんなわけで、次女にとっては「ひいばあちゃん」との思い出らしい思い出はないはずです。

今日の朝から昼過ぎまで、祖母の顔と母の様子を見に、次女を連れて実家に帰っていたのですが。
実家に向かう車の中で、ひっきりなしに「ひいばあちゃん」の話を続ける次女。

「ひいばあちゃんもお医者さんも、がんばったね」
「ながくがんばって、ハナマル。1年生きたら、ハナマル。一日だけでも、ハナマル」
と、透き通った言葉を次々と一人紡ぎながら、5歳なりに「死」を理解しようとしていたようです。

それに相槌を打ちながら、私が「Sちゃん(次女)は覚えていないだろうけど、生まれてすぐに抱っこしてもらったんだよ」と伝えると、次女はこう言いました。

「しらないときも、やさしいね」って。

祖母がこの世から旅立つのと引き換えに、かつて祖母が両腕で包みこみ注ぎ込んだぬくもりが6年近くの時を経て次女の心にしっかり届いたようで、ハッとして、じーんとしながら、その言葉をかみしめていました。

私たちはついつい「見える優しさ」に感謝こそすれ、「見えない優しさ」「知らない優しさ」には無頓着になりがちで。
あるいは、「自らの優しさを見せよう」と躍起になることすらある気がします。

けれど、もしかすると私たちを形作っているのは「知っている優しさ」よりも「知らない優しさ」の量の方が多いのかもしれない。
その「知らない優しさ」という存在に気づこうとすればするほど、強く、背筋を伸ばして生きていけるのかもしれない。

そういえば、私はまだ、手帳に私の誕生日を書き込んでいないことを思い出しました。
この後、しっかり書き込もうと思います。
次女の言葉を通して気づけた、数々の知らない優しさへの感謝を込めて。

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