先週まで、休園や登園自粛などで、3週間を自宅で過ごした次女。
それを受けて私も仕事自体の案件数は大幅に減らしていましたが、初めてのチャレンジ案件などは朝4時に起きて早朝に進めるなど、時間をやりくりしていました。
じゃぁ昼間は子供に付き合えるかというと、もちろん他にもやるべきことはあるわけで…。

次女は一人遊び×集中系がかなり得意なタイプなので、それをいいことに、実のところかなりほったらかして遊ばせて、私は別の業務や作業にがっつり。
さすがに申し訳なく思ったある平日の午後のこと。
「Sちゃん。二人でプラネタリウムに行こうか?」と誘ってみました。宇宙好きの次女は、もちろん大喜び!
子供にはちょっと難しめの「宇宙探査機・ボイジャー」のプログラムを見てきましたよ。

実はわたしがボイジャー好きで、
今月投影が始まったと知って楽しみにしていたんです♡
「しごとはしたほうがいい」

45分のプログラムを堪能した帰り道。
娘「たのしかった~!またみたいなぁ!」
私「Sちゃん、おうちでいい子にしてくれていてありがとうね。あまりにもSちゃんほったらかしちゃって、ごめんねって思ってたから、プラネタリウム喜んでもらえてよかったよ」
娘「Sはだいじょうぶだよ。ママはおしごとしたほうがいいよ」
私「え!なんでそう思うの!?」
娘「だって、おしごとはおかねがかせげるんでしょう?すきなものがかえるのも、おしごとのおかげでしょう?」
私「そうだねぇ、こうやってプラネタリウムに来らるのもお金があるからだしね」
娘「なにかひとつ、もくひょうをきめたらいいよ。それができたら、またあたらしいもくひょうをたてるの。そうやって、ひとつずつおしごとしていったらいいとおもう!」

どこまでが本心かはわかりませんが…少なくとも5歳児は想像以上に理解をしてくれているし、大人だった。
「ガマンさせている」「申し訳ない」というのはこちらの勝手な思い込みで、実はそんな「事実」はない(あるいは思っているより小さい)のかも――。
そこら中に散らばる、自分の固定概念
子どもがかわいそう。
これをしなくてはいけない。
これは私の役割。
完全に無意識だったけれど、実はそういう固定概念や先入観が、想像以上に自分をがんじがらめにしているのかも…そんなことに気づかされた我が子とのやりとり。
実は、それとたまたま重なるタイミングで似たような気付きが重なっています。

毎晩、私は子供たち2人と一緒にベッドに入り、寝かしつけながら自分も朝まで眠りますが…
ここ最近、冒頭に書いたような早起き×緊張感で夜はヘロヘロ。
休日やリモートワーク後の夫にだけ寝る前のアレコレを任せるのは申し訳ない(あるいは「家にいるんだからお前がやれよ」ってと思われるんだろうなぁ)と思っていましたが…「もう眠気の限界!いるときは任せてしまえ!!」ということで、入浴や片付け、歯磨きなどは全て夫に任せ私は先にベッドに。
すると、ちゃんと片付いているし、娘は既にウトウトしている私にくっついてきてちゃんと眠る。
わたし、自分が「寝たい」という気持ちを優先してもいいんだ。

また、我が家は「入浴後洗濯機を回す→室内干し→就寝」がルーティーンですが、これも眠気優先のときは「朝やろう」と変更してみると…それでももちろん問題ないし、時には夫が夜のうちに干しておいてくれるということも!
「私がここまでやらなきゃいけない」というのは、思い込みだったんだ。

さっきのプラネタリウムのボイジャーもそう。
比較的理解力があり宇宙への関心も高い5歳児は、難易度高めの解説にも面白みや学びをきちんと見出している。
「子供向け」を選ばなくてもいいし、私の見たいものを優先してもいいんだ!
壁=思い込みの「あるべき像」!?
こうして事実を積み上げてみると――「壁」や「前提」と思っていたことの多くは、勝手に描いた「あるべき像」から生まれているのかも。
それを取っ払っても、実は誰も困らないことは想像以上に多いのかも。
――そんな風に思えてきました。

何かに迷った時。
何かを当然のように選ぼうとしたとき。
「それって、誰が決めたの?」「それは思い込み?それとも事実?」
そんな風に自分に問いかけてみたら、一つずつ自由を手に入れられるのかもしれません。