最近、心理学やコミュニケーション関連の投稿が続いておりますが…
学んだことはアウトプットしなくちゃね!…ということで。
今回のタイトル、「性格は習慣である」も、先日、MMの師・きえさんからお聞きした言葉。
アドラー?マズロー??マザーテレサ???…歴史上の賢人がおっしゃっていた言葉のようです。

名言に衝撃を受けすぎて、出展うろ覚え……(笑)
「性格は習慣である」。
ってことは、「習慣を変えれば性格は変えられる」!
この試みをポジティブな定義に置き換える
私は自己肯定感が決して低い方でありませんが――性格には難ありだと思っています。
「思い通りに事を進め」たくて、だからそのとおりにいかないときにすぐにイライラするし、特に身内に対してはそれを隠そうともしない。

けれど、それは「不安」と「焦り」の裏返し。つまり、パニックからのイライラ。
開き直って「私イライラしぃなんで」とタガが外れた言動を繰り広げたところで自分の「ストレス」が減るわけでもないってことに、ようやく気が付きました…。

遅い(笑)
とはいえ、ここで「性格を変えたい」と思うと、すご~~~く難易度が高いように思えるし、心のどこかで、その試みが拒絶される感があるんですよね。(私の場合)

そこで、「(思考・反応の)習慣を変える練習をしてみる」と定義しなおしてみました。すると、そのハードルがグンと下がる。
この違いは何なんだろう?と見つめてみると・・・多分こういうこと。
「性格を変える」「自分を変える」=「自分を否定している」ようでネガティブな空気も……
↕
「習慣」=核のひと回り外にある、後天的なものであるイメージ
→変えること自体が自分自身の否定を意味しない
性格を「変える」=デジタルなイメージ。
ある瞬間に失敗すると「変わっていない」→「やっぱり変われない」
↕
「練習」=リニア、徐々に上達するイメージ。
失敗は織り込み済み。繰り返す先にいい状態が待っていそう
そう、これから私は「ダメな自分を矯正する」のではなく、「ご機嫌な自分になる練習をしてみる」のだ!
「練習」してみてわかった、自分のクセ
そんな練習を繰り広げるここ数日。
イライラにつながる、自分の「反応の習慣」がいくつか見えてきました。
■「なんで私の理想を邪魔するんだ!」

我が家ではソファをイブルでカバーしています。
床に擦れないように、全体を覆えるように、ちょうどいい加減でイブルの位置を調節して。
でも家族が過ごすうちにぐちゃぐちゃになってくる――。

また、昨夜の出来事。
我が家は私と子供2人でお風呂に入るタイミングで洗濯機を回し、お風呂上りに室内干しがルーティン。
私が一足先にお風呂に入るときは、洗剤やモード等をセットしておいて、あとから合流する子どもたちは自分の洗濯物を入れたら洗濯機のふたを閉める(→自動的に洗濯機が回り出す)という役割分担が出来上がっています。
が、昨夜はそこに別の登場人物(=夫)が。自分のシャツについたシミに別の洗剤を塗ってから洗濯機に入れるように伝えて入浴したところ彼は遂行しましたが、洗濯機の蓋は開けっ放しだったため、お風呂から出てみると洗濯が始まってすらいない――。

どちらも今振り返るとたいしたことはないのですが、その場で私はイラっとしてしまうんですね。
その根っこにはどうやら「なんで理想状態に向かうのをみんな邪魔するのだ!?」という思いがあるよう。
よくよく考えてみると、イブルの直し方も、洗濯機の蓋を閉めてほしいことを伝えていないんです。
自分の願いを共有していないから、相手も応えようがないのにね。
じゃぁなぜ共有していなかったのか――それは、「面倒だから」。
私の理想はみんなの理想なはず。
だからイブルがずれてたら気になるはずだし、洗濯機の蓋も閉めてくれるはず。
そんな「当たり前の理想」をどうして私がわざわざ説明しなくてはいけないのか。
あなたにとってもそれが理想なはずなのに、それと逆行する目の前の状態に対応していないあなたは私に仕事を押し付けようとしているに違いない!
――と書いてみて愕然としましたが(笑)、つまりはきっとこんな思考回路。
一瞬、「キィ~~~~~~ッ!!」となりかけましたが、「練習、練習」と思い直しコミュニケーション。

「掃除しやすく見た目もきれいなように、ちょこちょこイブルを直しているんだけど、みんな気にならないの?」
「いや、どうやってるのかわからなくて」
「お風呂に出たら待ち時間なく洗濯物を干したいと思って段取りしてるの。子供とは役割分担ができているから言うまでもないと説明を省いちゃったんだけど、今度から蓋を占めるところまでやってくれるかな?」
「わかった。すみませんでした」
あれれ。だれも私に押し付けてもいないし、邪魔しようともしていなかった。
■「私を怒らせるな!」
「どうしてこうなったかわかる!?あなたが怒らせたんでしょう!?」
って、まったくの無意識で口にしてしまうセリフ。
この前もポロリと出たのですが…練習中モードになっていたからこの一言に気づくことができました。

「あ、ごめん、ちがったちがった。感情は自分のもの。ママが怒ったのはあなたのせいじゃない。ママのイライラ虫が勝手に顔を出してしまった。あなたは怒らせようとしたんじゃないのよね」と娘に謝罪。
習慣だから、ついつい口にしてしまうことがあるけれど、まずはひっこめる練習から。
「相手のせいにしたがり」な自分
こんないくつかの発見を積み上げていくと、自分のことが少しずつわかってきますね。
私はとても面倒くさがりでとても臆病だから、なんでもかんでも相手のせいにしたがる。
相手の非をあげつらえば、自分が守れると思っているのかもしれません。
特に、家族に対して。

まだまだ始めたばかりの「練習」ですが、千里の道も一歩から。
「練習」の成果がちょっと出るだけで自己肯定感にもつながることも、ひしひしと感じています。
「性格は変えられる」。
変わりたいと思うなら、少しずつそこに向かえばいい。
春だし。
ちょっと「習慣」を変えて、新しい自分を作ってみるのに、いい季節かもしれませんよ!