年末のこと。
「今年一年、よくがんばった!」
家族で出かけた帰りの車で、わたしの口から自分に向けてポロリとこんな言葉が出ました。
それを聞いて、「何を一番褒めてほしい?」と夫。
それに対して、私はすんなりこう答えました。
「え、別に誰かに褒めてもらわなくても大丈夫」。
これを自然に言えた自分に、ちょっと驚き、改めていろんなことを考えました。
人の評価に「幸せ」はない
まだまだ実験&訓練中の私なので、このあたりはまだまだブレブレなのですが…
これまでは、評価が欲しくて仕方がなかった。しばらく会っていない人が私の名前をググった時に、わかりやすい活躍や経歴が検索結果のTOPにバ~っと並んで、「へ~矢島すごいなぁ。がんばってるなぁ」と思われたい、そんなイメージ。(笑)
けれど、他人の評価に寄りかかると、どれだけ褒められても、ゆるぎない「自信」にはならないんですよね……。

「もっと期待に応えなきゃ!」と、委縮につながることすらある。

「自信=自分を信じる」こと。だから、本当の「”自分が自分を”どう思っているか」に尽きる。
評価というのは、それでもそこにはその人の主観が入っているわけで――評価自体だってブレブレなのを忘れてはいけないし、あくまでも自分の「現在地」を知るための材料の一つに過ぎないととらえるのがリーズナブルなのかも。
他人に私の「自信」は作れないし、評価を突き詰めたところで「幸せ」になれるわけではないんですよね。
「幸せは感情である」

以前、こんな言葉に出合ったことがあります。
幸せは感情である
うろ覚えですが、この本に書かれていた言葉だったでしょうか……。
この文章を読んだときは、実は意味がよくわからなかったんです。
当たり前の気もするし、そもそも何を言いたいのかもよく理解できなかった記憶。
けれど、「誰にも褒められなくて大丈夫」と言えた自分を振り返ってみたときに、パッとこの言葉が浮かび、そしてストーンと腑に落ちたのでした。

私たちはついついスーパーで調味料でも探すように、あるいは宝くじが当たるのを待つかのように、
「どこかに幸せないかなぁ~」
「目が覚めたら枕元に幸せがあったらいいのになぁ~」
なんて「幸せ探し」や「幸せ待ち」をしがち。
けれど、「幸せ」は「感じる」ものであり、それを「感じる」かどうかは自分次第。
「しあわせ」というラベルがわかりやすく貼られたビンを探し求め手に入れることでもなければ、「は~い、ここにしあわせがありますよ~!」と「幸せさん」が手を振ってくれているわけでもないんですよね。
もっと自分を「幸せ」にしていい
ちゃんと自分の頑張りを知り、認められれば、自分で自分を褒めてあげられるし、そこにきちんと「幸せを感じる」こともできる。

そう考えると、「振り返り」は「成長」「改善」のためだけではなく、
「幸せ」を見出す行為ともいえるのかも……!
しかも、幸せは「感じるかどうか」に委ねられているなら、自分の訓練次第でどこまでも「幸せ」を増やすことだってできるってこと。

誰かと「幸せ」を奪い合う必要もないし、
「幸せ自慢」をしあうこともナンセンスってことか!

――そういえば、今年の私は「幸せ最大化のために試みる2022」とテーマを掲げたんだった!
「幸せという感情を増やす」ために何ができるか、そこを貪欲に突き詰めていきたいと思います!