「時間って、売らなくてもいいんだ!」

日々のキヅキゴト

昨年コーチングセッションを受けてたどり着いて以来、自分の中心に置いている軸。
それが、「心地よい方を選んでいい」という考え方です。

とはいえ、人はまだまだです、わたくし。
頼まれたら「いいですよ~(ニコッ)!)」と言いがちだし、予定が空いてるなら「仕事入れよう、仕事をしなきゃ」と思いがちな自分がいる。

もちろんそれが心地よさをもたらしてくれるならいいのですが・・・
「Yes」と言った後になんとなくモヤモヤすることはあるわけで。

なのに、なんで受け入れる選択をするのだろう?

そこには、思い込みがあった

すると、自分なりに出てきた思い込みがこちら。

「仕事を受けられるのに断るのは贅沢だ」
「お金を儲けていない時間は悪だ」
「お金を生み出していない自分に価値がない」

だから、新たな案件を目にして、他のアポとかぶっていなければその仕事に手を挙げる。
緊急性も重要性も低そうだし、心地よさも感じないから…とやんわり断れば、罪悪感にさいなまれる。
やれる時には力を差し出すことこそが、謙虚で、善で、価値があると思って。
「わたしなんかが、断るなんておこがましい」と思って。

時間を安売りするべからず

昨年読んだちきりんさんの著書、「自分の時間を取り戻そう」。

こんなことが書いてありました。

自分の時間を簡単に売らない。
時間が「お金のために売ればよいもの」になりかねない。

※メモからの引用なので、本文の表現とは異なります。

ハッ!!!!!!

――時間は「(たとえ安くても)換金することに一番の価値がある」と思い込んでいる自分に気づいてしまった。

仕事に関していえば、「この金額より高いと嬉しいな、安いと残念だな」と多くの人は「時給」「月給」「ギャラ」などに一定の線引きを持っていると思います。
が、例えば差し迫ってやることがない中で、その基準を下回った金額を稼ぐ話が舞い込んだとき。

私はそんな相場は無視して、1円を選択していた、というわけ。
だって、ゼロ円よりいいじゃないか。
だって、「それこそが正しい」と思い込んでいたんですもの。

けれど、人生にはじっくり育ててようやくお金につながる、そんなことも多いわけで。
そしてそうなるようにじっくり育てる時間も必要で。
あるいは、一銭にもならなくても自分にじんわり染みわたる楽しみや喜びもあるわけで。

「時間を売らない」という選択肢がある。
そしてそうすることにも大きな価値がある。
むしろ、「売っちゃいけない」時間がある。
時間はお金のために存在しているものではない。
自分のために存在しているものなのだ。

時間って、売らなくてもいいんだ!

こんな風に言葉にすると一見当たり前のようなことに思えるけれど……超即物的な自分に気が付いてしまったいま、十分に心に刻んで意識する価値がある考え方であるはず。

この「じぶん実験室」だって、「時間を売り渡さない」選択肢を手にできたからこそ、日々形にできているわけで。

あぁ、ここまで書いてやっと気づいた。
これがこの本のタイトルのように「自分の時間を取り戻す」ってことなんだ。
そして先日読んだ「DIE WITH ZERO」の中のメッセージ「『富』ではなく『楽しみ』を最大化する」ことにも通じるエッセンスでもあるんだなぁ!

いろんなインプットが結び目を作ることを感じつつあります。
これもインプット→アウトプットの効能ですね。

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